文者の庵

-MONJA NO IORI-

何者かになる

何者にもなれないまま少年期を終え、青年期も終えようとしている。時の流れというのは残酷で「いつか~をやりたい」「いつまでに~をやらねば」とか意識している内に大人になっていた。自分が望むような完璧・完全な何者かになんてなれないのに未だ全能感を求めている自分はモラトリアムを続けているのだろう。

 

フラフラとしていく内に見つけてしまったのは世の中のショートカットの数々だ。世の中には実は運や実力が左右するけれども、お金を一気に稼げる方法がある事。世の中には実は万能の手段とされているお金という概念を諦めるという生き方があるという事。ただ、お金を否定するというのは間接的に社会を否定する事だ。非常に難しい。

 

信用経済などの概念が流行ってきていたり、仮想通貨をはじめとしたお金や経済の新たな概念の可能性が芽を出してきている。どれかが新しいトレンドになるかもしれないし、全てが既得権により潰されてしまうかもしれない、もしくは利用されるかもしれない。

 

突き詰めるとお金持ちを目指して、何らかの手でフルスイング、ひたすらトライアンドエラーを重ねるか、お金持ちを諦めて自己満足の世界に浸るのが手っ取り早い。だが、どちらも孤独な作業だ。身近な人たちの承認を集めて日々を過ごした方が楽ではないか。

 

僕がオジサンになって身の回りの人たちと感覚が合わなくなってきているのは、僕自身が後退しているのか、もしくは前進しすぎたのか。どちらかは定かではないけれども、今までつるんできた人たちと何らかの差が出来てきているのだろう。

 

青年期の終わり、大きな喪失感、これが何者かになるという事なのかもしれない。